AIに職を奪われる!という恐れは人間の本能的な抵抗なのでしょうか
どうも。
興味があり、たびたびAIに関しての記事を読んでいますが、昨年末に興味深い情報がでていました。AI弁護士の誕生です。
これまでウン万円かかっていた書類作成が、わずか980円で、しかもクラウド上で作成・管理できるというもの。
また、別の記事ですがAIによる弁護士は人間の200倍の処理能力をもつと試算されてもいます。
また、こちらの記事では病気の診断に関し、乳がんの転移に関しての画像判定でAIが医師に圧勝、とあります。
このように、一般的に「高い知識をもち、高収入」な職種の領域で、AIへの置き換わりが起きつつあるようです。
その理由は至って簡単で、高収入な人間に置き換える前提ならば開発コストをペイできるからです。
知識を集め、必要に応じて展開するのはAIのほうが圧倒的に優秀ですので、これは理解できます。
また、「収入は高くないが従事者が多い業務」も同様に置き換わりが進んでいます。
代表的なところではAMAZON社の倉庫だったりコールセンターでしょうか。
販売店のスタッフをペッパーくんが代行している姿も珍しくはなくなりました。
コンビニレジを完全無人化、というニュースもありましたがこれはAIを使うのかな?
大筋の流れとして、「人よりもAIのほうが安く優秀なら、容赦なくそれを使うよ」という経営判断をする会社が大多数を占めるのだと思います。
逆に勤務者としては、いかに「AIにできない仕事」をできるか(できると思わせられるか)が大事になってくるようです。
しかし、「AIが人の仕事を奪う!」という論調を多く目にしますが、これはなぜなんでしょう。
AIによって人間が行なっていた仕事がなくなる。仕事がなくなると給料が出なくなる。AIに仕事を奪われたような人間はどこでも雇ってもらえるはずがない。という論法で、どうにか自分の生活を守ろうとするがゆえ、未知のAIに対して攻撃的な論調になってしまうんでしょうかね。
AIは人がより豊かに生活するための大きな支えになるはずの革新技術です。
そして、人間を圧倒する情報処理能力はあっても「人を感動させる」ことはできません。(少なくとも今のところは)アーティストやオリンピック選手にはなり得ないんです。
AIはいわば「共存すべきパートナー」であり、「優秀な外付け情報処理端末」であるはずで、人間にとって代わるものでも、まして敵対するものでもないと感じるのは私だけでしょうか?
AIを恐れる人たちの反応は、「写真に写ると魂を抜かれる」と恐れる江戸時代の迷信を彷彿とさせるんですよね。